クライストチャーチの失われた10年 前編

何が失われたのか?

カポでの宿泊へ流れた日本人観光客
手エージェントがオークランドへ集中してしまった
ーカルからの情報発信

・テカポでの宿泊へ流れた日本人観光客

2011年以降数年は、クライストチャーチにホテルがほとんど消えてしまったため(消えたのはホテル。モーテルなどは変わらず営業していました)日本人の団体パッケージツアーでクライストチャーチに滞在することができなくなりました。その影響で、クライストチャーチに訪れることすらしないツアーが増えたのです。各ツアー会社のパンフレットや旅行案内などから、クライストチャーチの文字が消えてしまいそうな勢いでした。

おまけに、クライストチャーチにとっては痛いブームが起こります。2008年のリーマンショック後、中国人観光客が増大した頃、テカポの星空ブームに火がつきました。テカポに宿泊する観光客が激増し、バブル到来を思わせるような、宿泊施設の建設ラッシュが始まります。地震前はテカポに宿泊施設が少なかったために、クライストチャーチに泊まらざるを得なかった状況が一変したのです。

そう、クライストチャーチがなくても、テカポがあるじゃないか!

旅行業界は、このバブルに乗じるが如く、星空ツアーでニュージーランド旅行をプロモーションしていきました。今でもテカポの星空を期待してニュージーランドに来られる方が多いですね、この影響で、たとえクライストチャーチに宿泊施設が復活してきても、なかなか流れを引き戻せない状況に陥ったのです。

・大手エージェントがオークランドへ集中してしまった

これも実は2008年あたりから傾向はあったのですが、南島のベースとなっていたクライストチャーチの大手エージェントが次々に閉鎖し、オークランドに一極集中してしまいました。これは大手旅行会社だけでなく、留学エージェントも同様です。日本人留学生が28名も亡くなったことで、クライストチャーチの留学生も一気に減ってしまい、英語学校だけでなく、エージェントも少なくなってしまいました。

日本人に対する旅行業界、留学業界のベースが、クライストチャーチからなくなってしまったわけです。オークランドに一極集中すると共に、オークランドの情報が増え、オークランドへ留学生、旅行者、ロングステイヤー、移住希望者も流れていくようになりました。

無礼を承知で乱暴な言い方をすれば、クライストチャーチの事情をよく知らない人々、クライストチャーチに対して思い入れの少ない人々が、それぞれの業界の中で、ニュージーランド全体を仕切っていたのです。ニュージーランドの日本人旅行業界で言えば、南島の旅行業界を北島のオークランドで仕切っていたことになります。

ーカルからの情報発信

クライストチャーチの情報発信、プロモーション、セールスを積極的に行う機関がなくなってしまったため、クライストチャーチの存在自体が、日本へ正しくタイムリーに届けづらくなりました。

何度も申し上げますが、日本での海外旅行情報は、日本の旅行業会内の情報に大きく左右されますので、日本の旅行業界がプロモーションやセールスしなくなると、その情報も少なくなってしまいます。地震以前は「ニュージーランド旅行では、まずはクライストチャーチ」があったのですが、今に至るまで、他の地域に人気の座を奪われてしまっているのは、単なる情報の少なさと正しい情報が届けられなかったからに他なりません。

なぜ失われたのか?

ゲートウェイだったために集客しなくても観光客が来る街だった
・復興できない理由をすべて震災に集中させてしまった
・旅行業を復興させようとする強い意志を持つローカルが少なかった

後編へ(思い切って言いづらいことを書いちゃいます。お楽しみに!)

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