クライストチャーチの失われた10年 前編

日本人観光客が去ってしまった地震後のクライストチャーチ

実は2011年に地震が起こる前から、日本人観光客数は減少の一途をたどっていました。最も大打撃だったのは2008年のリーマンショック。ますます日本人観光客が減少し、私が勤めていたトレッキングツアー会社も閉業してしまいました。

ただでさえ右肩下がりだったクライストチャーチの旅行業界に追い討ちをかけたのが、2011年2月22日のカンタベリー地震でした。(しかも翌月の3月11日には東日本大震災も起こります)

それ以降、クライストチャーチの旅行業は衰退の一途をたどります。街には地震の爪痕が残り、街のシンボル大聖堂は未だ修復工事中。日本に比べて目に見える街の復興はゆっくりだったのも復活できなかった理由だと思います。

地震後数年経って、ニュージーランドへの日本人観光客数は増加していきました。私は2011年の10月からマウントクックでトレッキングガイドをしていましたが、次第に日本人観光客が戻って行っているのを肌で感じていました。

しかし、グループツアーが宿泊できるホテルが足りなく、またモーテルに代行できない日本の古い旅行業の習慣、また個人旅行者がまだまだ少ない日本人観光客の性格上、日本人観光客は「クライストチャーチに訪れない観光客」の部類になっていったです。

さらに噛み砕いて言いますと、日本における海外旅行のカルチャーは、「訪れる国にある旅行会社でなく、日本にある旅行会社に依存する」というのががあったために、地震後クライストチャーチを避ける傾向にあった日本の旅行会社のプランに乗るしかない日本人観光客は、クライストチャーチにあまり訪れない外国人観光客となってしまったのです。

もうお分かりの通り、他の国の観光客は地震以前と同じようにクライストチャーチを訪れるようになりましたが、少ない情報(そのほとんどが旅行業界やそれに追随した出版社から出たもの)の影響で、日本からはクライストチャーチのイメージが薄いものになってまったのです。

何が失われたのか?

カポでの宿泊へ流れた日本人観光客
手エージェントがオークランドへ集中してしまった
ーカルからの情報発信

つづきは次ページへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました