2011.2.22 カンタベリー地震を忘れないで

ニュージーランド、クライストチャーチ周辺を襲った『カンタベリー大地震』から12年が経ちました。コロナ禍の影響があり、3年ぶりに日本からのご遺族の方が今年2月22日の慰霊祭に参加されました。。

2020年につづき、今年もクライストチャーチでの滞在のサポートをさせていただいた鈴木さんご夫妻。震災で大切な娘さんの陽子さんを亡くされました。2015年に地元誌The Pressに掲載された記事の日本語訳をいただきましたので、鈴木さんのご承諾のもと、このブログでも紹介したいと思います。

遺族は正式な謝罪を今も待ち続けている

ザ・プレス、クライストチャーチ
2015年2月23日月曜日

4年前、日本人看護師、鈴木陽子さん(31)が CIV ビルの倒壊で亡くなった。マイケル・ライトが彼女の父親にインタビューを行った。

午後6時電話が鳴った。
鈴木喜久男さんが帰宅して間もなくのことだった。
それは彼の娘が参加したニュージーランドでの教育交換プログラムを管理するエージェンシーからの電話だった。
彼の娘、看護師の陽子さんはクライストチャーチで英語を学んでいた。
そこで何か悪いことが起こったのだ。彼は、電話の声が暗く、「いくぶん緊張して遠慮がちに」聞こえたことを覚えていた。

それは 2011年2月22日だった。

大地震がその街を襲ったとき、鈴木陽子さん(31) はCTVビルにあるキングスエデュケーション語学学校で授業を受けていた。
彼女の父親はすぐ連絡が取れるようになると確信していた。

まず、鈴木さんは、仕事中だった小児科医の妻、千鶴子さんに電話し、帰宅するよう告げた。
テレビニュースはすでにその地震のこと、そして数名の日本人が巻き込まれた可能性があることを伝えていた。
報道は倒壊した CIV ビルに集中していた。

「私は、テレビ画面に朽ちた大きな柱のようなものが映っていたのを覚えています」と鈴木喜久男さんは語った。
「それはまるでがれきの山を見下ろしているようだった。そこには慈悲のかけらも無く、何一つ残されていなかった。『え!ここに娘が!』と息をのみました。動転しました。」

彼はフライトスケジュールをチェックした。テレビニュースは多くの家族がニュージーランドに向かっていると伝えていた。画面には救助された人たちや無傷の人たちを確認する氏名が流されていた。そこに陽子さんの名前は無かった。

「落ち着け!と自分自身に言い聞かせました」と喜久男さんは語った。
「親として、娘を助ける一番の方袋は何か?自分の気持ちだけを優先してはだめだ! と必死に考えました。」と。
「今は救援隊、NZの警察、消防の皆さんのあしでまといにならないようにすることが親のつとめだ。プロの方々にお願いすることが娘を助ける親としてとる道だと思いました」
彼らは72時間じっと待った。この時間を過ぎるとこのような大災害での生存率が急落することを鈴木さんは知っていた。

鈴木陽子さんはニュージーランドが大好きだった。
彼女はここに来るまでずっとキーウィのおもちゃのぬいぐるみを大切にしていた。東京で看護師として8年間働いた後、彼女が英語を学ぶ場所はNZ以外の選択肢はなかった。

彼女は心優しいNZ人と自然にあふれるNZが好きだったと彼女の父親は語った。
彼女のパソコンはテカポ湖の写真で一杯だった。
英語を話さない彼女の両親は、NZに到着したとき、この国のことについて殆ど知らなかった。

鈴木喜久男さんは、ニュージーランドの対処の仕方について、遺族として「不満なところはある」ことを認めた。
彼の娘はおそらく亡くなっていたのだが、遺体にも人権があるという事で、その遺体を直接探すことが許されなかった。
「日本であれば、身元を確認するため、家族は遺体と対面することができるだろう」と彼は言った。
鈴木夫妻は DNA サンプルや娘の使っていたものを提出して名古屋の家に帰った。鈴木さんの言葉によれば、それからはただ「待ち続ける」という、とてつもなく辛く長い時間が始まった。

ニュージーランドの外務省から電話がかかってきた。
NZ警察は陽子さんの日本で暮らしていた時の指紋を必要としていた。
NZ警察で保管しているものからは上手く指紋が採取できなかったのである。
日本の警察の鑑識課の方が鈴木家に行って再提出した。
そしてやっと完全に一致したと連絡があった。

ニュージーランドに話を戻す。
陽子さんの遺体は損傷が激しかったため、両親が自宅に連れて帰る前に火葬に付された。
「私たちのこれまでの人生において、最も辛く最も悲しい時でした」と鈴木さんは語った。

日本は火葬率が95パーセント以上と世界で最も高い国の一つである。
遺骨を進灰から捨い集め埋葬する。
鈴木さんは自ら娘の遺骨を胸に抱き飛行機で自宅に運んだ。
機内では、予想外の配慮があり、娘の為に席が空けて用意された。
嬉しくて涙がこぼれたと言っていた。

日本には「めくら判を押す」という言葉がある。
これは文字どおり「内容を読まずに書類に署名する」という意味である。
社会にそれを意味する言葉が存在するということ自体が日本社会での責任のとらえ方がわかる。

「日本でCTVのような大惨事が起こったら、王立委員会のような機関を立ち上げる前に、日本の警察は徹底的に捜査を開始すると思います。」と鈴木さんは言った。
それから刑事・民事で告発されると思います。

鈴木さん日く、「それは法律の違いではなく、まさに文化の違いだ」と。

彼は地震の後、「カンタベリー地震王立調査委員会を立ち上げ、徹底的な検証を図ったことは高く評価できます」と言っていますが、しかし、日本人の彼の感覚では報告書が出た後の進め方が遅いと感じた。
「倒壊の原因はビルの設計者、それから建築責任者にあるとはっきりと公表されています」と鈴木さんは言った。ですが、彼らは一度も遺族の前には現れず一言も誠実な謝罪もしていない。
「私は、自分が正しいと思ってやったことでも、結果的に間違っていたことがわかった時、特に人を殺してしまったような時、自らの過ちを認め、謝罪するか、しないかが人間としての分かれ道になると思います」

「私は、もし彼らが真摯に謝罪し、自分たちの過ちを認めていれば、それで娘を失うという私に起きた悲しい事実が変わる訳ではないが、私は彼らを許しただろうと思います。私たちは皆人間なのだから」

鈴木夫妻はニュージーランドを愛している。
日曜日に彼らは地震の犠牲者のための 4回目の追悼式に出席する。
陽子さんの遺灰の一部がまかれているテカポ湖を訪れた後、帰国する予定である。

鈴木陽子さんは、父親の故郷の町、富士山の見える三島に埋葬されている。
彼女の基石には南十字星が刻まれている。

カレン中西がこの記事の翻訳を担当した。

「左側の写真の説明文]
大好きなニュージーランドにて:CTV ビルで亡くなった鈴木陽子さん

「右側の写真の説明文]
追悼式にて:地震犠牲者の追悼式で贈られたグリーンストーンを手にした鈴木陽子さんの両親、千鶴子さんと喜久男さん

※写真のいくつかは、写真集『CHRISTCHURCH 2.22 Beyond the Cordon』から拝借しております。

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