ニュージーランド留学生と語り合った素敵な時間

久しぶりのブログ更新です。最近は私もYouTubeなどの動画コンテンツの作成を始めることになり、世の中のメディアのあり方も動画がメインになりつつあります。
ブログというものも、Vlogというのが世に出てきて、書くという行為自体が過去のものになるような気配を感じますが、書く・読むということの貴重さも捨てられませんよね。
動画メディア隆盛の昨今でも、「ブログを読む」という活字愛好家の方々のために、地道に続けていけたらなと思っています。

そんなわけで、今日のブログは写真も動画もありません。お気に入りのカフェでひとりの時間を楽しみながら、思いの丈を文字にしていこうと思います。ご興味があればお付き合いください!

世間のコロナショックの例に漏れず、旅行業を営む私にも底知れずショックが続いています。日本からのお客様を迎えて、ニュージーランド各地の素晴らしい場所にご案内したり、お客様の旅を演出したりする仕事は全くありません。ただただ、コロナに負けないよう、コロナが明けたときのために粛々と準備をしている日々を過ごしています。

その中、現在ニュージーランドに留学中の学生さんたちや、ニュージーランドに在住するそのご両親との親子旅行をご案内することがあって、フレッシュなティーネイジャーと時間を共にすることが多くなりました。

私にも10代の娘たちがいますので、お客様というよりは、子供のようにかわいい存在。無限の可能性があって、無垢で、エネルギーに満ち溢れています。これからの未来のために大切にしてあげたいと心から思います。

単なる送迎の仕事を受けた場合は、ガイドではなく、タクシードライバーのように、運転に徹していればいいのですが、何ぶんガイドが本業ですので、ついつい若い子たちとの会話に加わろうとする、うっとしいおじさんなのかも知れません。だけど、みんな目をキラキラして聞いてくれるので私も嬉しくなってついつい話が盛り上がってしまうんです。

先日の仕事でお会いした留学生との素敵な時間について少し紹介しようかと思います。

いろいろな学生がいますが、私がお会いする学生さんは大概いい子が多い。私の言ういい子の条件は、「挨拶ができる」「ちゃんと人の話を聞き会話ができる」「何かに一生懸命頑張っている」です。勉強ができなくてもOK。反抗期バリバリでもノープロブレム。

「ちょっと背伸びしたいやんちゃな男の子」、「冷ややかな目でスマートを装う賢い女の子」、「ご両親の期待に応えたい優しい女の子」の3人と長距離ドライブでいろんなお話をしました。

私は留学生やワーホリの若い人たちと話すときにいつも言うことがあります。

「自分の人生を生きろ!」
「周りに気を取られて自分を見失うな!」
いい子にならなくてもいい、いい意味でハメを外せ!」

これは私が尊敬するスティーブ ジョブズの最後の演説の名言Stay Hungry. Stay Foolishや、吉田松陰の諸君、狂いたまえ!に影響されています。

やんちゃな男の子は、「ちょっとぐらいハメ外していいですよね〜」と言うので、「でも人を悲しませるようなハメは外すなよ」と言うと「大丈夫です!」と元気がいい。なんと素直なんだ〜。

また「なんで俺ここにいるんだろう?」と言うので、「それは君が決めたことじゃないから。君が本当にしたいことではないからそう思うんだよ」と言うと、「そうかも知れないですね」としばらく黙ってしまいました。私は彼のご両親にとってはいい大人じゃないかも知れません。

親の期待に応えたい女の子の方は、「自分のやりたいことってどうやって見つけるんですか?」という、若者の悩みNo1のような質問をしてきました。私は自分のしたいことが見つからないという経験がほとんどありません。なので、今時のこういう悩みにきちんと応えられる自信はないのですが、見つからない理由は少しは分かるつもりでいます。

私が考えるその理由とは、「自分の力で生きていこうという意思が弱いから」なのかなと思っています。あまり書きたくないですが、私はあまりいい育ちとは言えない家庭環境でした。親からの愛情はちゃんと受けましたが、社会的に差別を受けやすい環境と父親が障害者というのもあって、小さな頃から自立しなければという意思が強かったと思います。それに比べると(必要もないのですが)、ニュージーランドに留学に来れる程の子供たちは恵まれてるなと思うのです。自分の力で生きていこうという意思よりも、頼りたいという依存心の強さを感じてしまいます。まだ10代だから致し方ないのでしょうか?

彼女の答えに、私は貧乏旅行時代に貧しい国を旅して経験したことを話しました。小学生ぐらいの子供たちが流暢に英語を駆使して、外国人観光客のガイドをしようと自分を売り込んだり、ホテルやレストランの客引きになったり、土産物を売ったりしていました。彼らの目はギラギラしていて、とても小学生と思えない力強い目でした。生きていくのに必死の彼らに、いつも私は「将来の夢は?」と聞きました。いろんな答えがありましたが、彼らに共通するのはいつも「即答」なんです。

そう、「自分の力で生きるのに必死であれば、自分の夢や目的は自然と前に立ちはだかるもの」若き日の私は、自分よりもはるかに若い子供たちからそれを教わったのです。

「君たちは英語を勉強するために留学しているよね。僕が会ったその貧しい国の子供たちは、生きていくために必死で観光客から英語を学んで、ぺらぺらに話せるんだよ。まだ読み書きは全くできなかったけどね。」

でも、貧しい国の子供たちと留学生とは生きている環境が全く違います。彼女はそれを理解した上でこう言いました。「自分の力で生きていくって難しいですよね?」全くその通りだと思います。恵まれた現代社会では、自分の力だけで生きていくことなんてできません。しかし思考したり、行動したり、意思決定したりする際に、そこに依存心はないか? あってもいいが、スタートは己の心から発しているか? 周りの期待や評価ばかり気にしていないか? 己の道を進む勇気はあるか?etc…

彼女は周りの目を気にしすぎず、自分の進みたい道が見つけられるでしょうか?焦らなくてもいいよ。すぐに見つけないといけないものじゃないからね。

クールで賢そうな女の子の質問はこうでした。「何を基準に大学を決めたらいいですか?」

これは困りました。なぜなら私は大学に関しては何も言えないほどの不真面目な学生だったからです。適当に大学は決めましたし、出席数や成績が悪く、卒業するのに7年もかかりました。ただ、私みたいな学生になって欲しくないという気持ちを込めて、丁寧に答えたつもりです。

答えは至ってシンプル。「自分の学びたいことを学べる大学を選べばいい」「その大学が一流だろうが三流だろうがそんなのどうでもいい」「大学ではなく、自分が一流になればいいだけの話」「学びたい分野で学びたい教授がいればその大学で学べばいい」「大学は肩書きやステータスをもらうところではない」「これからの時代、学歴がものをいう時代はなくなる」etc…

話は戻りますが、大学名や知名度などに依存しなければ、起こり得ない悩み。ここに気づいてくれたらいいなと思います。

他に語り合ったことは、山ほどありますが。ここに書ききれません。彼ら留学生のご両親や留学エージェントの方にとっては、無用なアドバイスで、危険な大人の意見かも知れませんが、私なりにこれからの将来を担う若者たちに素晴らしい人生を歩んでもらいたいので、ついツアーガイドではなく、人生のガイドを偉そうにしてしまいました。

私が16歳の頃、初めてのひとり旅で北海道を訪れたときに、私の人生観を変えてくれたあのタクシードライバーのおっちゃんのように…。

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